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最高裁判所第三小法廷 昭和58年(あ)180号 判決

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人林川毅の上告趣意第一について

憲法三八条一項の規定によるいわゆる供述拒否権の保障は、純然たる刑事手続においてばかりでなく、それ以外の手続においても、対象となる者が自己の刑事上の責任を問われるおそれのある事項について供述を求めることになるもので、実質上刑事責任追及のための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有する手続にはひとしく及ぶものと解される(最高裁昭和四四年(あ)第七三四号同四七年一一月二二日大法廷判決・刑集二六巻九号五五四頁。なお、同昭和二七年(あ)第八三八号同三二年二月二〇日大法廷判決・刑集一一巻二号八〇二頁参照)。

ところで、国税犯則取締法は、収税官吏に対し、犯則事件の調査のため、犯則嫌疑者等に対する質問のほか、検査、領置、臨検、捜索又は差押等をすること(以下これらを総称して「調査手続」という。)を認めている。しかして、右調査手続は、国税の公平確実な賦課徴収という行政目的を実現するためのものであり、その性質は、一種の行政手続であって、刑事手続ではないと解されるが(最高裁昭和四二年(し)第七八号同四四年一二月三日大法廷決定・刑集二三巻一二号一五二五頁)、その手続自体が捜査手続と類似し、これと共通するところがあるばかりでなく、右調査の対象となる犯則事件は、間接国税以外の国税については同法一二条ノ二又は同法一七条各所定の告発により被疑事件となって刑事手続に移行し、告発前の右調査手続において得られた質問顛末書等の資料も、右被疑事件についての捜査及び訴追の証拠資料として利用されることが予定されているのである。このような諸点にかんがみると、右調査手続は、実質的には租税犯の捜査としての機能を営むものであって、租税犯捜査の特殊性、技術性等から専門的知識経験を有する収税官吏に認められた特別の捜査手続としての性質を帯有するものと認められる。したがって、国税犯則取締法上の質問調査の手続は、犯則嫌疑者については、自己の刑事上の責任を問われるおそれのある事項についても供述を求めることになるもので、「実質上刑事責任追及のための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有する」ものというべきであって、前記昭和四七年等の当審大法廷判例及びその趣旨に照らし、憲法三八条一項の規定による供述拒否権の保障が及ぶものと解するのが相当である。

しかしながら、憲法三八条一項は供述拒否権の告知を義務づけるものではなく、右規定による保障の及び手続について供述拒否権の告知を要するものとすべきかどうかは、その手続の趣旨・目的等により決められるべき立法政策の問題と解されるところから、国税犯則取締法に供述拒否権告知の規定を欠き、収税官吏が犯則嫌疑者に対し同法一条の規定に基づく質問をするにあたりあらかじめ右の告知をしなかったからといって、その質問手続が憲法三八条一項に違反することとなるものでないことは、当裁判所の判例(昭和二三年(れ)第一〇一号同年七月一四日大法廷判決・刑集二巻八号八四六頁、昭和二三年(れ)第一〇一〇号同二四年二月九日大法廷判決・刑集三巻二号一四六頁)の趣旨に徴して明らかであるから(最高裁昭和三七年(あ)第一四九五号同三九年八月二〇日第一小法廷判決・裁判集刑事一五二号四九九頁、同昭和四八年(あ)第一八七二号同年一二月二〇日第一小法廷判決・裁判集刑事一九〇号九八九頁、同昭和五七年(あ)第六六六号同五八年三月三一日第一小法廷判決・裁判集刑事二三〇号六九七頁参照)、憲法三八条一項の解釈の誤りをいう所論は理由がない。

同第二について

所論は、事実誤認の主張であって、適法な上告理由にあたらない。

なお、原判決は、第一審判決を破棄し自判するにあたり、昭和五六年法律第五四号脱税に係る罰則の整備等を図るための国税関係法律の一部を改正する法律が施行された同年五月二七日より前の行為である被告人の原判示所為につき、同法附則五条を引いて同法による改正前の所得税法二三八条一項を適用しているところ、右附則五条は、罰則の適用についての経過措置を規定したものではなく、同附則には右の点についての経過規定が置かれていないのであるから、刑法六条、一〇条の規定により軽い行為時法たる右改正前の所得税法二三八条一項を適用すべきものであって、原判決には右の点で法令の解釈適用を誤った違法があるが、原判決も結局右改正前の所得税法の規定を適用しているのであるから、右違法は判決に影響を及ぼさない。

よって、刑訴法四〇八条により、主文のとおり判決する。

この判決は、裁判官横井大三の意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官横井大三の意見は、次のとおりである。

私は、上告趣意第一についての法廷意見に対し、若干見解を異にする点があるので、それを述べておきたい。

かつて、外国人登録法違反被告事件の判決(最高裁昭和五五年(あ)第一一二二号同五七年三月三〇日第三小法廷判決・刑集三六巻三号四七八頁)において、私は、同法三条一項、一八条一項の規定を本邦に不法に入国した外国人にも適用することが憲法上是認されるのは、外国人登録申請手続が、刑事責任の追及を目的とする手続でも、そのための資料の収集に直接結びつく作用を一般的に有するものでもないうえ、同法一条所定の行政目的を達成するために必要かつ合理的な制度と考えられるからであって、その限度をこえて入国の秘密の開示を求め、その開示がないと申請を受理しないという取扱いがされると、憲法三八条一項の保障を実質的に害するおそれがあり、いわゆる適用違憲の問題を生ずる余地があるとの補足意見を述べたことがある。

この意見は、外国人登録法による登録申請手続は行政目的達成のため定められたものであるから、形式的には憲法三八条一項にいわゆる供述拒否権の保障はないが、実質的にはその適用があるとするもので、問題を後に残すものであったといえなくはない。

本件は、国税犯則取締法による犯則調査手続に憲法三八条一項の供述拒否権の保障が及ぶかどうかが問題とされた事件であるが、焦点は、収税官吏が犯則事件につき犯則嫌疑者に質問をする場合憲法上供述拒否権の告知を要するかどうかということであって、刑事事件では、被疑者を取り調べる際あらかじめ供述拒否権のあることを告げなければならないとされてはいるものの(刑訴法一九八条二項)、その義務は憲法三八条一項に由来するものではないとされており、この点は法廷意見も認めるところなので、国税犯則取締法による収税官吏の犯則嫌疑者取調の場合にも、憲法上供述拒否権の告知を要しないこととなるのはいうまでもないといえよう。しかし、供述拒否権の保障はあるがこれを告知することまで必要はないと考えるか、供述拒否権の保障はないのでその告知も必要でないと考えるかは、結論は同じであっても、思考の過程が異る。そこに、法廷意見が国税犯則取締法による収税官吏の犯則嫌疑者に対する調査手続の性質まで踏み込んで判示した理由があるのであろう。

しかし、私は、この点になると、法廷意見と見解を異にし、前述した外国人登録法違反被告事件の判決における私の意見を一歩進め、憲法三八条一項にいわゆる供述拒否権の保障は、要するに、自己が刑事責任を問われることとなるような事項について供述を強要されないことを保障するものであるから、そのような事項について供述を強要することになるものである限り、刑事手続はもちろん刑事手続に準ずるものとされる国税犯則取締法による調査手続のみならず、私が前に若干のためらいを示した外国人登録法による登録手続のような行政手続にも及ぶものと考えることとしたいのである。そうすれば、形式的には及ばないが実質的には及ぶというようなためらいの議論をする必要もなくなるし、法廷意見のように、国税犯則取締法の刑事手続との直結性を強調する必要もなくなるであろう。

憲法三八条一項にいわゆる供述拒否権の保障は、刑事手続にのみ適用があるとか、法廷意見のように準刑事手続には適用があるという意見は、憲法の右規定が憲法の刑事に関する諸規定の中に置かれているとか、アメリカ合衆国憲法修正五条が刑事事件においては何人も自己に不利益な供述を強要されないという趣旨の規定を置いていることに由来するものと思われる。これは、それなりに十分理由のある見解であり、私もこれまでその意見に耳を傾けて来たのであった。しかし、考えてみると、何れも決定的な理由とはいえないように思う。現に、外国人登録法による登録申請義務ばかりでなく、道路交通法による交通事故申告義務、税法による納税申告義務、麻薬取締法による麻薬営業者の記帳義務などについて、憲法三八条一項の供述拒否権の保障との関係が裁判例上問題として取り上げられているのも、これら行政手続にも憲法上の供述拒否権の保障が及ぶという意見が強く主張されたからであって、必ずしも当を得ない問題提起とは思われない。民訴法では証人に刑訴法と同様の証言拒否権を与えてあやしまないのも、憲法三八条一項の保障が刑事手続以外にも及ぶことを示す最も典型的な例ではなかろうか。

このように、一般の行政手続にまで憲法三八条一項の供述拒否権の保障が及ぶとすると、行政の運営に支障を来たすことにならないかとの危惧がある。もっともな面もあるが、供述拒否権の保障は、黙秘権の保障と異り(その異同の詳細は、ここでは触れない)、「自己が刑事責任を問われることとなるような供述」の強要が禁ぜられるのであるから、一般の行政手続の過程に問題として現われることは少ないであろう。しかも、憲法上保障される供述拒否権は、放棄又は不行使の許される権利であるから、行政上特別に許可された者のみが行うことのできる業務などでは、特別許可に付随する義務としてある程度罰則をもって供述を強要することも可能と考えられるので、右に述べたような危惧も少ないと思われる。もし、右のような特別な事由もないのに、行政上の必要があるという理由だけで、一般国民に、自己が刑事責任を問われるような供述を罰則をもって強制するような手続があれば、それは刑事手続に準ずるものでなくても、憲法三八条一項に違反するというべきであろう。

(裁判長裁判官 伊藤正己 裁判官 横井大三 裁判官 木戸口久治 裁判官 安岡滿彦)

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